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ぐうたらお父さんのとりとめのない話

(その1)

ところで、前の投稿からいろいろあって、すっかり「ぐうたら状態」に陥っていました。
すみません。_(._.)_
実は長女と次女が大学と高校の入試があり、心配で心配でたまりませんでした。(妻がね。)
僕はなるようになるって特に心配もしていませんでしたが、妻の手前、一応、心配してるような素振りをしてました。
(会社でもこれくらいの演技ができればねぇ、、、)
もう、三十年近く前の自分の大学の入試の頃を思い出すと、地方の高校生は選択の幅が狭く実に厳しい立場でした。
(今でも変わらないかもしれません)
というのは、地元の大学に進学するか、さもなければ下宿して東京とかの大学にいかなければならず、その時の親の負担は決して小さいものではないことを
わかっていたからです。
その点、東京の高校生は学校の選択の幅が広くって、羨ましいかぎりでした。
地方からみると、東京の高校生は皆、優秀で多くが東大とかにいくものと思っていました。
ところが、いざ自分の子供が高校をでるときは全く、話しが違ってました。
そのとき初めて現実を知りました。
「なーーんだ。全国どこだってレベルは同じようなものだったんだ」
ところで、今日(4月2日)は長女の入学式でしたが、僕にはなにも聞かず当然のことのように母親と一緒に行きました。
(本当は僕も行きたかったのにぃ、、)
ここで声を大にして言いたい。
「親子そろって父親を無視するな!、俺も行きたかったんだ!怒るでぇ」(~_~)
(ここで言っても意味ないけどね。)
以上取り留めのない話しでした。_(._.)_

(その2)

この前あった恥ずかしかった事
それはいつものように8時半過ぎの電車にのり、空いている席に座り
ノートPCを鞄から取り出し、イヤホンを差し込み、音楽を聴こうとしたときのことです。
(娘から借りたCDを録音して、たまに聴いているんです。
そのときのアーチストは倉木麻衣でした。(^^ゞ)
どうも、音量が小さいので、最大にしましが、どうしても音量があがりません。「昨晩、OSのアップデートしたからかなぁ、、」などと
のんきに思っていると、隣の人がひじで僕のことをつつくんです。
「変なやつだなぁ、、かかわらないようにしよっと。」と無視していると前に立っている人が「音が漏れていますよ」って!よく見ると、イヤホンはスピーカの口ではなく、マイクの方に挿入されているではありませんか!
周りにクラキがづっと大音量で流れていたわけです。
そのときのバツがわるかったこと。みんな「この人、いい年してクラキなんか聴いてる」って思ったことでしょう。
「穴があったら入りたい」、「顔から火がでる」という状況でした。
倉木麻衣でなく、せめて「鬼束ちひろ」だったら、よかったんだけどね。
この話しを家族にしたら、
「いやーーだぁ、、これだから、絶対お父さんとは一緒に電車に乗りたくないワ!」
と娘にまた、言われてしまいました。

(その3)

年に一回ぐらい家族で帰省します。
妻の実家は僕の実家から車で20分ぐらいなんで、先ずは全員で僕の実家で食事を済ませ、妻と子供たちは妻の実家へ向かい、東京に帰るまで、宿泊します。
つまり、「現地解散、現地集合」ってことですね。
ところで、実家に帰省してしばらく経つと、母が「OOさんのうち(妻の実家)
に挨拶にいかんがかいね?」と必ず聞いてきます。
「うーーん」と僕が気のない返事をしていると、
母は「どんながいねぇ、、すぐにいかんとぉ!」ってせきたてられます。
行きたくない理由は簡単です。どうも、義父が僕の事を嫌ってるみたいなんです。
義母はよく、ウマが合うんですが、、義父は文字りの「職人」で、ぐうたらした人間が大嫌いみたいです。義父は「マメ」が服を着ているような人間で、義母が倒れてからも、ずっと、義母の面倒をみています。
(この点、尊敬に値すると思います。僕とは正反対で、「ゴミだし」、「石油の給油」など、言われなくても自分でやります。)
で、そこで一応妻の実家に電話します。
僕「もしもし、○○です。」
こんなときに限って義父が電話を取ります。
義父「あぁ、、○○さんかいね、、なーーん、あんたも疲れてるさかいこんでもいいよ!」
って、初めから、僕の内容を聞かないで、挨拶に来ないでも良い旨、一方的に話します。
そこまで、言われると、「母に言われてるんで、そこをなんとか、」というわけにもいかず、
「じゃ、電話で失礼します。義母によろしく」って言うしか、他にありません。
そのあとが大変です。実母対策が、、
まさか、本当のことを言って心配させるのもなんなんで、「昼から、行ってくるわぁ」って家を出て、そのままパチンコとか本屋さんでぶらぶらして、時間をつぶし、夕方、帰宅します。

帰宅後の母との対話
母「向こうのお母さんの具合どうだったがいね?」
僕「あいかわらずだったよ」
母「何をお土産に持っていった?」
僕「近くのケーキ屋さんで、ケーキ買った。」
といいつつ、良心の呵責に耐えつつ、なんとか他の話しに変えようと、
「ところで、親戚の○○さんの具合は最近どう?」
どうして、老い先、短い年寄りにこんな「ウソ」をつかなければいけないんだ!
責任者出て来い!(元はと言えば僕が悪い?)
因みに妻も共犯です。あらかじめ、本当の事を言ってあります。_(._.)_

(その4)

(↓実はこれ、2ヶ月前に書いたものです。)
今年の夏、お盆に実家に帰省したときのお話です。
それは最寄の図書館に行った帰りのことでした。
折からの台風のためか、雨が降り出しました。
我慢して小走りに歩いてましたが、雨脚はますますひどくなったとき、
ちょうど、出身小学校の裏に出ました。そこでちょうど屋根付きのガレーがある家を見つけ、雨宿りさせてもらうことにしました。
「ここって小学校の同級生の○○夕子さんの家じゃなかったかなぁ、、」
と思い、表札をみたら、本人の名前はなかったけど、確かにその姓でした。
「ふーーん。彼女、どうしてるんだろう?」と思っていると、そのうちのお婆さんらしき人がこっちにきました。
不審がられても、まずいので先に「雨宿りさせてもらっています。」と声をかけました。
(そのときの格好は不審がられても仕方のないものでしたので、)
「そうかいねぇ、、」って言って、家に入ろうとしたお婆さんに
「こちらに夕子さんて方、いらっしゃませんか?」
「僕、小学校の同級生なんです。」と言うと、
「夕子は近くにお嫁にいって、ここにはおらんがやぁ、、」とのこと。
「そうですか、、」と僕が答えると、お婆さんはそのまま家に入ってしまいました。
「愛想のない人だなぁ、、、」と思っていると、
ビニール傘を持ってきてくれて、「これを使いまっしぃ」と言ってくれるではありませんか!
何回もお礼を言い、また、その傘をさして歩きだしました。
その傘をさしながら、昔の事を思い出し、胸が痛みました。
というのは小学校のとき、その「夕子」さんの絵が教室のうしろに掲示されていました。
その名前をみて「あっ、○○タコだ」と教室中に言いふらしました。
それ以後、彼女は「タコ」っていうあだ名になってしまいました。
(確か、中学校までこのあだ名だったと思います。)
今、思うと本当に悪いことをしてしまったと、反省してます。
(わが子がそんな事言われたら、、)
翌日、ちゃんとその傘をお返しに伺ったのは勿論です。
(そのお婆さんは留守で、孫がいましたが、、)
以上苦い思い出でした。